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川瀬堅斗(大分商)は交通事故の怪我から奇跡の復活!兄弟プロへ!

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2020年のドラフト会議が10月26日に迫っています。

ドラフト候補の川瀬堅斗(大分商業)も好投手です!

川瀬堅斗投手は最速147キロの速球が武器の本格的です。

今回は、川瀬堅斗投手の経歴やプロフィールについてお届けします。

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川瀬堅斗のプロフィール

川瀬堅斗(かわせ けんと)

生年月日:2002年6月18日(18歳)

出身地:大分

身長:183cm

体重:86kg

学歴:賀来小-賀来中-大分商

 

川瀬堅斗の兄弟は?

5歳上にソフトバンクの川瀬晃内野手を兄に持ちます。

 

川瀬堅斗が野球を始めたのはいつ?

川瀬投手は、賀来小学校時に野球を始めて、賀来ヤンキースに所属。

5年時には、全国大会を経歴しています。

小学校生の時に全国大会ってかなりセンスがいいですね。

川瀬堅斗の出身中学は?

賀来中学では湯布院ボーイズに所属。

最速135キロでした。

 

川瀬堅斗の出身高校は?

川瀬投手の高校は兄も在籍した大分商業です。

1年時夏の大会から背番号18でベンチ入り。
手術をへて、体感を徹底して鍛えます。

2年の6月に復帰して、147キロを記録しています。

2年の夏はチームを牽引して、県大会準優勝に導いています。

2年の秋の九州大会では準優勝で、選抜を決定づけます。

甲子園交流戦では、強豪の花咲徳栄高校と対戦。

1回裏に3失点して、そのまま敗戦。

 

川瀬堅斗が大怪我から復活した理由は?

川瀬投手は中3の秋、交通事故で頭蓋骨骨折など、生死をさまよう大けがを負います。

後輩たちの野球を応援するため、自転車に乗っていた川瀬は自動車との事故で大けがを負った。「全く記憶がないんです。目が覚めたら病院にいた。なんでここにいるんだろう、という感じでした。生死をさまよっていた」。頭蓋骨骨折や頭部の内出血などで緊急手術。それから約1週間は集中治療室(ICU)に入れられた。

父の保男さん(63)は医師からショッキングな知らせを受けた。「野球やスポーツはできないかもしれない。それどころか、普通の生活もできるかわからない」。中学時代から有望投手だった息子の夢が、ここで終わるかもしれない。胸が締め付けられた。事故から45日間の入院生活。両親が交代で必ず毎日付き添った。

引用:日刊スポーツ

しかし奇跡的な復活を遂げ、特に熱心とされる巨人、ロッテ、日本ハムなど12球団に注目される九州屈指の快腕に進化しました。

中学生ぐらいでこんな大怪我してしまうと、運動どころではないはずです。

やはり、甲子園でプレーしたいという目標が怪我を克服したのだと思います。

 

兄の晃さんによると

「堅斗は過酷なリハビリでも歯を食いしばってやっていた。大分商に行きたいとずっと言っていたし、ぶれなかった」。

望み通りに大分商へ進んだ弟はエース兼主将に成長します。

兄からもらった「キャプテンは常に前を向け」という言葉を胸に、困難な時期も懸命にチームを牽引しました。

 

 

川瀬堅斗の球種は?

川瀬投手は、最速147キロのストレートがります。

変化球も多彩で、スライダー、カーブ、チェンジアップを投げ分けます。

 

川瀬堅斗の憧れの選手は?

明大からドラフト1位で広島入りした同校OB、森下投手を目標にしています。

直伝のカットボールやチェンジアップも武器にしています。

昨秋、森下が大分に帰省した時に指導を受けた。

「どうしたら直球と同じ投げ方で変化球を投げられるか。チェンジアップの握りや抜き方を習った」。

渡辺正雄監督(47)が「タイプは違うが伸びしろは、森下と一緒。だが森下にないエンジンの大きさ、ダイナミックさがある」
と評す逸材です。

 

川瀬堅斗のドラフトの評価は?

プロ志望届を提出しています。

プロのスカウトからは、

・「変化球をうまく使ったいい投球。面白い素材」

・「カーブが非常にいい。足を痛めているそぶりを見せない。プロ(向きの)魂を持っている」

と高い評価があります。

ドラフトでは、3位から4位での指名が予想されます。

 

まとめ

川瀬投手は、怪我にも負けない精神力の持ち主です。

将来性も十分ですので、
ドラフト指名されてほしいです。

兄弟そろってプロの夢を叶えてほしいですね。

 

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