下関国際高校野球部の坂原秀尚監督。
優勝候補の大阪桐蔭や近江を破って注目されています。
また、過去の問題発言も話題です。
坂原監督の経歴もユニークなもののようです。
坂原秀尚監督の経歴は?
文武両道やかき氷国際の問題発言についてお届けします。
坂原秀尚のプロフィール
>大阪桐蔭に続き、強豪・近江との激戦に勝利。センバツの優勝、準優勝の2校と対戦し、共に撃破したのは83年のPL学園以来だった(準決勝の池田戦、決勝の横浜商戦)
【甲子園】下関国際を初の決勝に導いた坂原秀尚監督「甲子園球場という舞台が大きく成長させてくれている」https://t.co/mbY9wCP8Dg
— ARA (@arai_san_28) August 20, 2022
坂原秀尚(さかはら ひでなお)
生年月日:1976年10月11日(45歳)
高校:広島電機大学付属高校野球部(甲子園出場経験なし)
大学:広島電機大学
現役時代のポジションはピッチャーでした。
大学を経て、社会人野球を経験しています。
広島電機大学では教員免許を取得していなくて、引退後、免許取得のため東亜大に編入。
そして、大学に近かったと言うこともあり、下関国際高校の校長に自らを売り込む手紙を書いたそうです。
そして、在学中の2005年8月から高校の野球部監督に就任します。
当時、野球部は荒れていたそうです。
・厳しい監督が来たとなって、(部員が)みんな辞めて最後は1人。
・その後、3人戻ってきて4人になった。
・グラウンド整備や道具の扱いが、とにかくヒドくて、マナーを教えると、面倒くさがって辞めていってしまう。
そこから、野球部員が足りない状況から12年かけて立て直し、初めて甲子園に出場しました。
その指導に注目が集まっています。
坂原監督の指導方法
坂原監督は部室の清掃、道具の管理など技術以前に大切なことから徹底していきます。
また、1日に1000単位のスイングなどの練習で力を伸ばしていきます。
坂原監督は「甲子園に連れて行きたい。だから、選手に合わせて練習や環境を緩くすることもなかった」と明かしたこともありました。
坂原監督の問題発言とは?
坂原監督の歯に衣を着せない言動のため、発言が問題視されたことがあります。
どのような発言なのでしょうか?
『文武両道』って言葉が大嫌い
下関国際・坂原秀尚監督
『文武両道という言葉が大嫌い。あり得ない。野球と勉学の両立は無理。一流というのは1つに集中してやるということ。文武両道は二流。』
数年前に物議を醸したやつだが、坂原監督と言えばやっぱりコレなんだよなぁ。 pic.twitter.com/ovMO09vBnG
— やすぽんくん(新垢) (@yasumaro_0421) August 20, 2022
『文武両道』って言葉が大嫌いなんですよね。あり得ない」と発言されています。
「無理です。『一流』というのは『一つの流れ』。例えば野球ひとつに集中してやるということ。文武両道って響きはいいですけど、絶対逃げてますからね。東大を目指す子が2時間の勉強で受かるのか。10時間勉強しても足りないのに」
確かに、両立を目指すのは大事ですが、中途半端になってしまうことも多いです。
甲子園を目指すのであれば、野球に集中することも必要ですね。
かき氷国際とは?
「三本松さんの選手、甲子園(球場)でカキ氷食ってましたよ。うちは許さんぞと(笑い)。僕らは水です。炭酸もダメ。飲んでいいのは水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ。買い食いもダメ。携帯は入部するときに解約。3日で慣れますよ。公衆電話か手紙でいいんです」
甲子園で対戦相手の三本松高校がかき氷を食べていたのを見た時の発言がありました。
ゆゆされて、かき氷国際と言われたこともありました。
バイトで遠征費を稼ぐ
坂原秀尚監督は、生徒に自信をつけさせるために行う広島、東京、大阪など、遠征試合に出かけます。
東京などの遠征のための飛行機代や交通費は、坂原監督が年末の漁港でアルバイト(冷凍した魚を冷凍車から降ろす)して遠征費にまわしていました。
坂原秀尚監督の家族は?
妻と子供が3人の5人家族です。
野球中心で大変なことも多かったのではと思います。
甲子園の快進撃で報われたのではと思います。
まとめ
坂原秀尚監督の経歴は?
文武両道やかき氷国際の問題発言についてお届けしました。
厳しい監督ですが、甲子園という目的を叶えるためには必要なのかもしれません。
この夏の活躍で、さらに部員が増えて強くなると思います。