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江上光治の出身大学や現在は?経歴や家族(子供)についても!

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8月24日のTBS「バースデー」では、かつて甲子園のヒーローとなった男たちは今?

という、甲子園で活躍した人が特集されます!

その中で、池田高校の江上光治さんを調べてみたいと思います。

今回は江上光治の出身大学や現在は?
経歴や家族(子供)についてお届けします!

 

 

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江上光治のプロフィール


江上光治
生年月日:1965年4月3日
出身:徳島県
投打:右投左打

 

池田高校はなんと言っても82年夏、83年春と選手が変わっても優勝しています!
かなり凄いことですね!

3年時には、江上選手はキャプテンを務めています。

 

江上光治の経歴は?

江上選手が本格的に野球を始めたのが、鴨島第一中の時でした。

中学の頃は7番を打っていたこともあり、注目される存在ではありませんでした。

池田高校へ進学したのも、スカウトでは無かったのが驚きです!

しかし、入学早々からチャンスを物にしていきました。

江上選手は池田高2年の時から3番を打つ打者に成長します。

4番のエース畠山準、5番の左翼・水野雄仁は、のちにそれぞれ横浜、巨人で活躍する選手です。

その二人とクリーンナップを組むぐらいですので、かなりの打者だったと思います。

2年で初めて甲子園の土を踏んだ江上選手は82年夏、準々決勝の早実戦で存在感を見せつけます。
相手のエースは荒木大輔投手。

荒木投手は1年時から注目され、5季連続で甲子園に出場して「ダイちゃん」フィバーを起こしています。

江上選手はその荒木選手から、膝元に沈むカーブを完璧にとらえ、右翼スタンドに運ぶ先制2ランを放ちますね♪

猛打爆発して、14-2で早稲田実業を降しています。

勢いにのって、決勝でも広島商に12-2の圧勝で優勝を飾っています!

83年の選抜の決勝は、水野投手が横浜商打線を2安打に封じ、3対0の完封勝利でセンバツ初優勝を遂げます。

この優勝で、夏春連覇の偉業を達成。日本中に池田フィーバーが巻き起こりました!

 

PL学園の躍進!

1983年夏、池田は徳島大会を勝ち抜いて三季連続甲子園出場を果たした!

前人未到の夏春夏連覇に手が届きかけた池田人気は凄まじかった。勝つのが当然という雰囲気。

池田は、1回戦太田工,2回戦高鍋,3回戦で広島商を破り順調に勝ち進みます。

そして準々決勝で、打倒池田の一番手と言われていた名門中京と対戦した。事実上の決勝戦とも言われた試合でした。

水野と野中(元中日)の投げ合いになった試合は大熱戦となり、1−1の同点のまま9回の攻防へ突入します。

そして9回表に池田が本塁打などで2点を奪い、3−1で中京を破ります。

準決勝のPL学園は、桑田、清原の1年生がKKコンビと話題となっていたが、下馬評は決して高くなかった。

水野は清原から4三振を奪った。しかし、ノーマークの桑田に先制2ランを浴び、勢いづかせてしまった。
水野は3本のホームランを打たれ、結局7対0で完敗を喫します。

 

江上光治の出身大学は?

大学は早稲田大学進学しています。

リーダーシップを発揮して主将を務めています。

大学卒業後は日本生命へ入社しました。

 

現在は?

日本生命では、5年間現役として活躍しました。
その後は裏方を7年間務めています。

その後は社業に専念しているようです。

浦添市にある日本生命浦添営業部で営業部長を務めていた時もあります。

 

家族・子供は?


江上さんの長男・太悟郎が早実の野球のマネジャーをしていました。

清宮幸太郎選手が1年生の時に甲子園へ出場しています!

太悟郎さんがマネジャーを志願したのは新チーム発足時。
自分の実力、周囲の状況を鑑みて和泉監督に自らの意見を伝えました。

選手とは違った立場、裏方としてチームを支えると決めたことは凄いことだと思います。

選手として甲子園を目指したいですもの。

 

その時は江上さんも甲子園に応援に行っているようです。

やはり野球からは離れられないのだと思います。

 

まとめ

江上光治の出身大学や現在は?
経歴や家族(子ども)についてお届けしました!

「バースデー」で甲子園の思い出を話してくれるか楽しみですね!

 

 

 

 

 

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